春の夜(はるのよ)

三春・時候/体も心もやわらぐ暖かな夜。花の香がただよい、なんとなくつやめいている。


春の夜や皿洗はれて重ねられ  川崎展宏


皿洗いはきらいじゃない。

むかしロンドンの日本料理店で皿洗いをしていたとき、流しの洗いものは実際に目にすることのないお客さんが好きなように食べて飲んで帰っていった証として、そこにあった。

だれもここにいる自分を想像することもなくて、ただこの店で楽しい時をすごして夜のどこかへ消えてしまったと思うと、なぜか笑いがこみあげてくるのだった。

この句は初老の夫婦二人が台所にならんで、妻が皿を洗い、重ねられていく皿を夫がぬぐう、そんな共同作業を思わせる。

きょうは俺の誕生日だった。いつもよりすこしばかり豪華な夕飯だったから皿数が多い。せめて皿ふきくらい手伝わないと。

もう春ねと妻がいう。この間までお湯を使っていたけど、もう水でもつめたくないのだという。

そうか、もう春だな。あまり意味のない返事をしてしまう。

料理上手で倹約家の妻のおかげで、なんとか俺もやってこれたのかな。

あと何回、こうして誕生日を迎えられるのだろう。

春の夜を水の流れる音と皿を重ねる音がして、二人だけがいる。


川崎展宏(かわさきてんこう)1927-2009年。広島県生まれの俳人・国文学者。加藤楸邨に師事。「貂」を創刊・主宰。 




春の水(はるのみず)

三春・地理/春の河川や湖沼、井戸などの淡水をさす。雪解けで水量が増え、水音が高くなる。


腰太く腕太く春の水をのむ  桂信子


自分の奥さんだったらいやだな。母親だとしたら──。

久しぶりに実家に帰った。玄関の戸は開けっぱなしで母の姿がない。田舎のことゆえめずらしくはないが、ちょっと心配になって急ぎ足で畑に行ってみる。いた。後ろ姿が見える。小さな流れをまたいで腰をかがめ、両手ですくった水を飲んでいる。

「そんな水飲んでいいのかよ」

思わず咎めるようにいうと、「うんめ」と母は皺だらけの顔をほころばせた。

父が死んで一人で暮らす母。年々確実に老いてはいるけれど、まだまだ大丈夫だな。

遠く山々にはまだ雪が残っているものの、畑にはもうそのかけらもない。

「おめも飲むが?」と母はいう。

都会暮らしがすっかり長くなった俺には、もうその水を飲む勇気はありません。


桂信子(かつらのぶこ)1914-2004年。大阪府生まれの俳人。日野草城に師事。「草苑」を創刊・主宰。 


浅春(せんしゅん)

初春・時候/立春をすぎても寒さの残る、春らしさの整っていないころ。


浅春や音一つなき楽器店  土生重次


楽器店でなにか違和感をおぼえるのは、たくさんの楽器に囲まれながらも、そこから音がいっさい聞こえてこないからだろう。

大勢の人がいるのに声がしない朝の通勤電車にすこし似ているけれど、人には体温があっても、楽器は硬質でつめたい感じがだいぶちがう。

ギターでも、ピアノでも、ハーモニカでもいい。音を出したら見えない音符が踊りだし、もっと春らしくなりそうなものを。


土生重次(はぶじゅうじ)1935-2001年。大阪府生まれの俳人。「扉」を創刊・主宰。




下萌(したもえ)

初春・植物/枯れ草の大地から草の芽が生え出ること。確かな春の到来を感じさせる。


下萌の僅かな地にも贈与税  竹中碧水史


贈与税を俳句に使うなんて、自分にはとてもできそうにない。やってはみたいけれど。

親から安く譲り受けた土地だろうか。こんなに狭いのに税金を払わなきゃならんのかと呆れているにしても、そこには去年からの枯れ草が残っていて、その下からしっかり緑の芽が萌え出てきているんだから立派なもんだ。

さて、その土地をいったいどう使うのだろう。まさかそのまま放置して、今度は夏草の一句をつくるんじゃありませんよね。


竹中碧水史(たけなかへきすいし)1929年、大阪府生まれの俳人。俳画も手がけた。


シクラメン

三春・植物/地中海原産のサクラソウ科の球根植物。花は長い花茎の先に一つ下向きに咲く。


美しきうなじ蕾のシクラメン  片山由美子


子供のころ家族でときどき行ったとんかつ店。そこに飾られていた風変わりな鉢植えの花を母がいたく気に入ったこと、よしのちゃん(洋風の家に住んでいたクラスメイト)の家に似合いそうな花だと思ったことを憶えている。それがシクラメンだった。

とんかつとシクラメンで一句、はさておき、「美しきうなじ」とくれば女性のそれを思って読んでしまうが、まさか「蕾のシクラメン」とは!

俳句は観察から、とよくいうけれど、この一句はまさにそう。

窓辺に置いた鉢植えの日当たりや土のかわき具合を気にかけながら、つぼみの生長を毎日観察しているのだろう。

花びらが下から上に反りかえるようにして咲くシクラメンは、その独特の花の姿から篝火草ともよばれる。花はもちろん美しいのだが、作者はきっとつぼみの美しさにも気づいたのだ。

ネジのような尖ったつぼみは細長い茎が曲がった先にあり、うつむくように下を向いている。茎は日ごとに伸び、つぼみはふくらんでいくが、ひらききるまで茎の曲がった部分がずっと見えている。

それを「うなじ」に見立て、そっとふれながら、きれいに咲いてねなんて声をかけているような片山さん。好きだなあ。


片山由美子(かたやまゆみこ)1952年、千葉県生まれの俳人。鷹羽狩行に師事。「香雨」を創刊・主宰。





バレンタインの日(ばれんたいんのひ)

初春・宗教/2月14日。キリスト教の聖人バレンチヌスの祝日。親しい人や恋人にカードや花などを贈る。日本では女性が男性にチョコレートを贈る。


駈け去れりヴァレンタインの日と囁き  小池文子


暗にチョコの要求だけして去っていった男?

勇気があるというか、ずうずうしいというか、そんな奴いる?

けど、この句の雰囲気、ちょっとちがう。

文子さんがパリに住み、フランス人と結婚したらしいことも思うと、彼女があこがれていた彼に意を決して自分をアピールし駆け去った場面じゃないだろうか。

フランス語のバレンタインの日という響き(知らないけれど)、あっけにとられた男の顔、走る女の赤い頬。

ここからすべては始まった、のかな?


小池文子(こいけふみこ)1920-2001年。東京生まれの俳人。石田波郷に師事。パリに暮らした。



春寒(はるさむ)

初春・時候/立春のあとの寒さ。余寒とちがい春のほうに重きをおく。


春寒の指環なじまぬ手を眺め  星野立子


もし季語が余寒だったら、この先の結婚生活に暗雲がたちこめている気がする。結婚なんてするんじゃなかったという後悔。

春寒だから明るい。しあわせで満たされた新しい人生の一歩を踏みだした。けれど、なぜかしらちょっとさみしい。ちいさな不安がないこともない。寒さがそれに気づかせる。

でも明日は暖かくなるだろう。傷もくもりもない光る指環をながめながら、気持ちはもう未来を向いている。


星野立子(ほしのたつこ)1903-1984年。東京生まれの俳人。高浜虚子の次女。「玉藻」を創刊・主宰。橋本多佳子、中村汀女、三橋鷹女らと同時代に活躍した。





春の日(はるのひ)

三春・天文/春の日光またはのどかで暖かい春の一日(時候)をさす。


春の日の朱をべつたりと中華街  原裕


「べつたりと」がいい。門でも看板でも、中華街を一色であらわすとしたら朱。春の陽ざしをあびて、その朱がいっそう色濃くべったりとしてまぶしい。なんだか食欲がわいてくる。

どこの店で何を食べようか。暖かくやさしい風の吹くなかをおしゃべりしながら、こっちの路地からあっちの路地へ。

私にとっての中華街は横浜で、山下公園のにぎわいやそれに交じる汽笛、芽吹きはじめた街路樹の若々しいにおいまでがよみがえる。

久しく足を運んでいないけれど、この句の楽しさを存分に味わえる春の日が今年の中華街にはたくさんやってきますように。


原裕(はらゆたか)1930-1999年。茨城県生まれの俳人。原石鼎に師事。「鹿火屋」主宰。