春炬燵(はるごたつ)

三春・人事/春になっても置かれたままの炬燵。立春後も寒さが続くので、なかなかしまうことができない。


失業も長くなりけり春炬燵  車谷長吉


実家を出て以来、もう何十年も炬燵とは縁のない生活をつづけている。

「炬燵は人を怠惰にする」とは至言であろうが、私の場合は単に、テーブルとソファの居間に炬燵など置く必要性を感じたことがないからだ。

あれは冬場に実家に帰った気分を味わうためのものでよろしい。

さて長吉さん、つらい冬がようやく去って、もうだいぶん暖かくなってきたというのに、まだ仕事は決まらず、いや、決めようとせず、ぐずぐずと炬燵で夢をみているんですか。

いっそ思いきって炬燵なんざ売っぱらって、お天道様の下へ出ていきゃあ新しい道がみえてくるかもしれないのに、あと一日とばかりにその踏んぎりがつかずに炬燵に甘えてしまう寒い春の日、そんな日が私にもたしかにあったから、この一句は身にしみる。


車谷長吉(くるまたにちょうきつ)1945-2015年。兵庫県生まれの小説家・随筆家・俳人。


蝶(ちょう)

三春・動物/一年中見られる昆虫だが、花の蜜を求めて舞ふ春の姿はことにうつくしい。


日本語をはなれし蝶のハヒフヘホ  加藤楸邨


陽気にさそわれて公園のベンチで本をひらいていると、かわいらしい黄蝶がその上にとまった。

おいおい、ここに蜜はありませんぜ。それとも、柄にもなく難解な本に挑んでいる俺をからかってるつもりかい?

風が吹くと蝶は我にかえったように日本語から離れ、花壇のほうへと去っていった。

漢字が窮屈そうにならんだ本から飛びたったくせに、その恰好はどう見ても「ハヒフヘホ」。字面も音も、まさにそれがぴったりだ。

春の公園には、もうすこし軽い本のほうが似合うかな。


加藤楸邨(かとうしゅうそん)1905-1993年。東京生まれの俳人。水原秋櫻子に師事。「寒雷」を創刊・主宰。 



蝌蚪(かと)

晩春・動物/蛙の子、おたまじゃくし。四肢が生えると尾が短くなり、やがてなくなる。


親ひとり子ひとり蝌蚪を飼ひにけり  角川春樹


「ねえ、この子だけまだ手も足も生えてこないよ。カエルになれるのかなあ」

飼育ケースをのぞき込んでいる息子が心配そうにいう。

「おたまじゃくしにもいろいろいるんだよ。あんただってみんなよりちいさいけど、大人になれないわけじゃないんだから」

「そうかなあ。大丈夫かなあ」

息子はケースの端をつんつんと爪でつつく。「おい、おまえ、がんばれ。早く足出ろ」

あたしは正直、おたまじゃくしなんて気持ちわるくてまともに見られない。息子が友達と池で捕まえたといって連れ帰ったときは、戻してきなさいと叫びたかったのだけれど、ぐっとこらえて自分で育てる約束をさせた。

意外にも、毎日何度も声をかけてはごはんつぶやパンくずをやったり、水を替えたり、まめに世話をしている。もしこの子に弟か妹がいたなら、かわいがってくれるのかもしれない、なんて思ったりもする。

「ねえ、お母さん大変だ! 来て来て!」

ある日、息子に大声で呼ばれた。

まさか死んじゃったのと思いながらも、仕方なくおそるおそるケースをのぞいてみたが、何が起きているのかわからない。

「チビに足が生えたよ。ほら、こいつ」

指をさした先には、たしかに他の子とはちがってちいさな後ろ足だけが生えている子がいた。

「やったね。すごいじゃん」

「チビだってカエルになれるね」

息子は心底うれしそうにチビの動きを目で追っている。

弱いものを助けるような人になれと言い残して逝った夫は、ちゃんとここに生きている。


角川春樹(かどかわはるき)1942年、富山県生まれの俳人・映画監督・出版経営者。角川源義の長男。「河」主宰。




春の雷(はるのらい)

三春・天文/春に鳴る雷。寒冷前線の通過に伴うもので、積乱雲のおこす夏の雷の烈しさはない。


山鳩は愚図な鳥なり春の雷  森瀬茂


遊歩道でも山道でも、山鳩はたいがい番いで地面をついばんでいる。

驚かさないようにゆっくり通りすぎようとしているのに、かなり接近してから体の向きを変えて歩きだし、だんだん早足になって、しまいにはバサバサと羽音をたてて飛びたってゆく。

その逃げ方のどんくさいこと。山鳩に出くわすたびにいつもそう思う。

きっと真っ暗な空で雷が鳴りだしても、聞こえているのかどうか、雨脚が強くなってからあわてて木の繁みに逃げこんだりするのだろう。

「愚図な鳥なり」ときっぱり断定してはいるけれど、そこに作者の愛情の裏返しを感じてしまうのは、季語が夏の激烈な雷ではなく、春の到来を告げるものだからだろう。 


桜蘂降る(さくらしべふる)

晩春・植物/桜の花が散ったあと、萼に残った蘂が散り落ちること。花のころとは異なる趣がある。


独訳をせよ桜蘂ふりしきる  夏井いつき


ある言語を他の言語に訳すとき、ことばを単に記号として置き換えるだけですむ場合と、それでは意味をなさない場合とがある。

たとえば「私は今朝6時に起きた」は前者であるが、「桜蘂ふりしきる」は後者にあたるだろう。

桜蘂がふりしきる光景を前に、日本の風土・文化のなかで生まれ育った人とそうでない人が抱く感情には隔たりがあるのではないだろうか。

そうであれば、いかに単語や文法が正しくても、ただことばを変換しただけでは実は相手になにも伝わっていないことになる。

そもそも桜蘂なんて、蘂という漢字がいかにも蘂の姿そのものを表しているようにみえるというのに、その感覚をわかってもらうには説明がいる。

「桜蘂降る」がなぜ季語になっているのか。先人たちはそこにどんな思いを託してきたのか。そして、わたし自身はいま桜蘂ふりしきるこのベンチに座って、なにを感じとっているのか。

学びはじめたばかりのドイツ語だったら、それをどう表現すれば理解してもらえるのだろう。

他の言語を学ぶということは、日本人として日本語を、そして日本の歴史や文化をも真剣に考えることにつながっていく。

独訳の解答にたどり着けない長い時間を、桜蘂がふりやまない。


夏井いつき(なついいつき)1957年、愛媛県生まれの俳人。黒田杏子に師事。俳句集団「いつき組」組長。


ヒヤシンス

晩春・植物/地中海沿岸原産の球根植物。直立した花茎に香りのよい小花が密集してひらく。水栽培にも向く。


銀河系のとある酒場のヒヤシンス  橋閒石


あまりにも広大でとらえどころのない銀河系から、いきなり酒場へと絞りこまれるスケールの縮小感が快い。

夜の都会には銀河系の星のように数えきれないほどの酒場があるのに、今宵この店に入り、カウンターのとなりに居合わせた人と意気投合したのは、まったくの偶然だ。

しかし偶然を必然ととらえるかどうかは、けっきょく自分次第。

この気分の高揚は、はずむ会話のせいか、うまい酒の酔いのせいか、あるいはヒヤシンスの濃厚な甘い香りのせいだろうか。

透明なガラスの容器にとぐろを巻いたようなヒヤシンスの白い根。スポットライトをあびて光る水のなかで、それは気恥ずかしくなるくらいに露わだ。

先刻からわたしと同じ酒を飲みはじめた彼女とヒヤシンス。シャツのブルーと花のブルーと、それを見比べてしまうわたしは今夜、余程どうかしているのだろう。


橋閒石(はしかんせき)1903-1992年。石川県生まれの俳人・英文学者。俳句は独学。


花盛り(はなざかり)

晩春・植物/桜が爛漫と咲きほこるさま。


人体冷えて東北白い花盛り  金子兜太


雪の白におおわれていた東北の大地は、咲き乱れる花々の白に飾られてようやく春を迎える。

空は晴れわたり眩い光が満ちてはいるが、清浄な空気は冷えていて、まだどこか緊張感を残している。

東京のように花見客でごった返す陽気な花盛りとは明らかに異質な、静寂のうちにあるうつくしさに、血が透きとおってゆくような気さえする。

その大きな景色のなかに、ぽつんぽつんとちいさな人を発見する。農作業に勤しむ人だろうか、村道を歩く人だろうか。

「人体」という無味な単語によって、点景のようにしてある東北の人の姿がよりあざやかに浮かび上がってくるように思う。それが「冷えて」いるにちがいないと想像するところに、作者の東北の人々への思いがくみとれる。

この句を読むと、列車や自分の運転する車で東北を移動したことのある私の脳裏には、そのとき車窓にひろがっていた光景が瞬時に流れはじめる。

どこまで走っても家並みの切れない都会から訪れた者に、東北の集落は心細くなるほど疎らで、人は群れずにちっぽけなままで暮らしているように映った。


金子兜太(かねことうた)1919-2018年。埼玉県生まれの俳人。加藤楸邨に師事。「海程」を創刊・主宰。



春疾風(はるはやて)

三春・天文/春の強風のこと。低気圧が東海上にぬけるときに起こりやすく、台風並みの暴風となることもある。


ネクタイの端が顔打つ春疾風  米澤吾亦紅


きょうから毎日ネクタイを首からぶらさげて出勤か。めんどくさいな。

みんな同じような色のスーツ姿で改札から街へ流れ出ていく。

うわッ、風が強いな。耳もとでひゅんひゅん鳴ってる。

紙くずが舞い上がって、立て看板が倒れたと思ったら、顔面に痛みが走った。

ネクタイめ、俺に活を入れるつもりか。たしかに眠気はさめたけど。

肩をたたかれふり向くと、同期のにこやかな顔。一気に緊張がほぐれる。

そこへまた疾風がかけぬけ、ネクタイの無残な一撃をくらう。

思わず同期のネクタイに目をやると、なんだかおしゃれなネクタイピンが光っているではないか。

こうして俺の社会人一日目は始まった。


米澤吾亦紅(よねざわわれもこう)1901-1986年。長崎県生まれの俳人・造船技師。「燕巣」を創刊・主宰。