晩春・植物/桜の花が散ったあと、萼に残った蘂が散り落ちること。花のころとは異なる趣がある。
独訳をせよ桜蘂ふりしきる 夏井いつき
ある言語を他の言語に訳すとき、ことばを単に記号として置き換えるだけですむ場合と、それでは意味をなさない場合とがある。
たとえば「私は今朝6時に起きた」は前者であるが、「桜蘂ふりしきる」は後者にあたるだろう。
桜蘂がふりしきる光景を前に、日本の風土・文化のなかで生まれ育った人とそうでない人が抱く感情には隔たりがあるのではないだろうか。
そうであれば、いかに単語や文法が正しくても、ただことばを変換しただけでは実は相手になにも伝わっていないことになる。
そもそも桜蘂なんて、蘂という漢字がいかにも蘂の姿そのものを表しているようにみえるというのに、その感覚をわかってもらうには説明がいる。
「桜蘂降る」がなぜ季語になっているのか。先人たちはそこにどんな思いを託してきたのか。そして、わたし自身はいま桜蘂ふりしきるこのベンチに座って、なにを感じとっているのか。
学びはじめたばかりのドイツ語だったら、それをどう表現すれば理解してもらえるのだろう。
他の言語を学ぶということは、日本人として日本語を、そして日本の歴史や文化をも真剣に考えることにつながっていく。
独訳の解答にたどり着けない長い時間を、桜蘂がふりやまない。
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