柿の花(かきのはな)

初夏・植物/柿はカキノキ科の落葉高木で、北海道をのぞく日本全土に分布。6月頃、黄色味をおびた白い合弁花をつける。若葉と一緒に咲くため目立たないが、地面に落ちた花を目にする。雌雄同株。


ふるさとへ戻れば無冠柿の花  高橋沐石


父が倒れた。母によれば、もう若くはないのにろくに休みもとらず働きづめだったらしい。

さんざん考えた末、俺は東京での生活を捨て、家業をつぐ決意をした。いつかはこういう日がくると、うすうす感じてはいたのだけれど。

ここでは、営業で同僚がうらやむ成績をあげ、会社から何度も表彰された経歴なんてなんの役にも立ちそうにない。知識も経験もまったくない職人の世界で、一から学んでいかなくちゃならないのだ。

作業場では、俺より小柄なはずの父が大きく見える。その背後には祖父の代からあるらしい柿の木が生い茂っていて、あたりまえだが父よりももっとずっと大きくてたくましい。

いまが盛りの花はなんとも冴えない感じで目立たない。まさに、この俺だ。

けれど秋になれば、思わず手を伸ばしたくなるような立派な実がたくさんかがやくにちがいない。


高橋沐石(たかはしもくせき)1916-2001年。三重県生まれの俳人。「小鹿」を創刊・主宰。





天道虫(てんとうむし)

三夏・動物/ちいさな半球形で背中に斑点がある虫。赤や黒、黄など色はさまざま。よくみられる7つの黒い斑点のあるナナホシテントウはアブラムシを食べる益虫。


のぼりゆく草ほそりゆくてんと虫  中村草田男


まだ原っぱが身近にあった時代。放課後、いろんな虫を捕まえたり、観察したり。

いくら時間があっても足りない気がした。

天道虫はさわると臭いので好きではなかったけれど、草の先端へのぼりつめたやつが翅をパカッとひらいて飛び立つさまを見るのは楽しかった。

この句は飛ぶとはいっていないのに、それがはっきり脳内で映像化されてしまう。

飛ぶぞ、いまにきっと飛ぶぞと逸る気持ちまでわいてくる。

虫に親しむことの少なくなった近頃の子供なら、この句をどんなふうに読むのだろう。


中村草田男(なかむらくさたお)1901-1983年。中国福建省生まれの俳人・成蹊大学教授。高浜虚子に師事。「萬緑」を創刊・主宰。



木苺(きいちご)

初夏・植物/バラ科の落葉低木。山野に自生。晩春、白い花が咲く。初夏、たわわになる黄金色や暗紅色の粒状の実は食用。


書庫までの小径木苺熟れてゐる  山口青邨


若葉が陽をさえぎって、すこし湿り気のある小径を歩く。研究室にこもっていたからいい運動だ。

みずみずしい酸素濃度の濃い空気に全身が洗われるようだ。

途中、見つけた木苺を思わず摘んで口にしてみる。天然のやさしい甘酸っぱさに、くたびれた脳がよろこんでいる。

論文を仕上げるのにどうしても必要な資料。たしか書庫にあるはずだ。

お目当ての資料をさがし出すことへの期待を胸に、歩みは知らずと速まっている。


山口青邨(やまぐちせいそん)1892-1988年。岩手県生まれの俳人・鉱山学者。高浜虚子に師事。「夏草」を創刊・主宰。





青嵐(あおあらし)

三夏・天文/青葉の繁るころに吹きわたるやや強い南風。


うごかざる一点がわれ青嵐  石田郷子


ドローンで上空から自分自身を撮影しているような光景。

吹き荒れる風を全身に受け、強い意志のかたまりとなったような「われ」。

私にとって、それはひとつの憧れだ。

二十五の夏、私はアイルランドのモハーの断崖に立っていた。柵などない崖っぷちで、大西洋をごんごんとわたってくる強風に倒されぬよう足をふんばっていた。

この海原のはるか彼方にはアメリカ大陸があるのか。

見えるはずのない大陸の影に目をこらし立ち尽くしていたあのとき。

ロンドンにもどってからどうするのか。学校をつづけるのか、それともいっそ休んで、ドーバーをわたってみるか。

強い意志のかたまりになりたかった・・・・・・われが、青い海風に抗うようにして、まだあの断崖に立っている。


石田郷子(いしだきょうこ)1958年、東京生まれの俳人。山田みづえに師事。





薔薇(ばら)

初夏・植物/バラ科の落葉または常緑の低木。5月頃、香り高い花を咲かせる。茎には鋭い棘がある。園芸品種はきわめて多く、花の色も形もさまざま。


自らへ贈るくれなゐ強き薔薇  櫂未知子


きょうからは好きな時間に起きて、好きなように働いて、好きなところへ出かけ、好きなものだけを食べ、もちろんだれを好きになったってかまわない。

元来、猫のような性格のわたしが他人と一緒に暮らすなんて、無茶な冒険みたいなものだったのだ。

でも、だとしたら、わたしの冒険はけっきょく失敗に終わったのだろうか。いや、そもそもこの冒険で、わたしはいったい何を手に入れようとしていたのだろう。

ともかく、わたしは十分にがんばった。そして、ようやく自由をとりもどしたのだ。たったひとりで、このすばらしい門出を祝おう。

わたしの好きな薔薇を新しいテーブルクロスをかけた食卓に飾って、おいしいワインを開けよう。

それなのに……。

花屋の店先で、無邪気なピンクの薔薇にするつもりだったのに、深紅の花弁に心ひかれてしまったわたしは、いまの自分が手に入れたものが決して自由なんかじゃないってことを、ほんとはだれよりも痛いくらいわかっているのかもしれない。


櫂未知子(かいみちこ)1960年、北海道生まれの俳人。大牧広・中原道夫に師事。




夏めく(なつめく)

初夏・時候/緑が濃くなり、初夏の花々が咲き、夏らしくなること。生活面でも夏らしさが感じられるようになる。


夏めくや卓布にふるる膝がしら  田中裕明


子供のころ、暑くなってくると、両親がなにかちょっと思いきった感じで茶の間の炬燵を片づけ、簡単にはひっくり返せない長方形のごつい座卓をでんと据えて、そこに透明な柄の入った白いテーブルクロスがかけられた。

寒いときは炬燵布団をめくって足を差し入れていたのが、そうなるとテーブルクロスの端っこが微妙に膝や腿のあたりにあたって、くすぐったいような、うっとうしいような気持ちになったものだ。

この句は、たとえば恋人の家を訪れ、客間で緊張気味に正座しているところを思い浮かべる。

初めて顔を合わせた彼女の両親。母親は気さくに応じてくれるが、お決まりのように父親は黙って座卓の上を見つめるばかり。

その二人の背後、陽ざしに庭木の若葉がきらめいている窓からはさわやかな風が流れこんでくる。

そろそろ彼女のとりなすような話題も尽きてきた。

さっきからずっと気になっていた、テーブルクロスが膝がしらにふれる感触ばかりが強くなって……。

思わず、だれとも知れない彼に、がんばれっていってやりたくなってくる。


田中裕明(たなかひろあき)1959-2004年。大阪府生まれの俳人。波多野爽波に師事。「ゆう」を創刊・主宰。 



葉桜(はざくら)

初夏・植物/花が散り若葉となったころの桜。陽光をあびた葉桜はことにうつくしい。


葉桜の中の無数の空さわぐ  篠原梵


これまでさまざまな場所で葉桜を目にしてきたであろうが、この句から思い出されるのは新学期の学校。

親しかった友とクラスが分かれ、さびしく不安な気持ちと、新しいクラスにすこしずつなれ、気の合いそうな奴を見つけられたことへの安堵。あえて声をかけるわけではないけれど、存在の気になる奴もいたりして。

新しい担任との相性はまだつかみきれず、すっかり落ち着いたとはいえない胸のざわつく日々。

風に揺れる葉桜を見上げる私の心のどこかでも、きっと「無数の空」がさわいでいたんだろう。


篠原梵(しのはらぼん)1910-1975年。愛媛県生まれの編集者・俳人。臼田亜浪に師事。


 

夏初め(なつはじめ)

初夏・時候/立夏をすぎた5月。新緑のうつくしい、すがすがしい時季。


江戸絵図の堀の藍色夏はじめ  木内彰志


水の都だった江戸。当時の絵図で目をひくのは、町を区切るように縦横にのびる堀や運河のあざやかな藍色だ。

絵図片手に、現在の街並みと比較しながらの散策。

東京のいまの堀を藍色と表現することはとてもできないが、絵図の藍色を指でなぞりながら往時の面影をさがし歩くのはいかにも楽しげだ。

堀端の並木の葉のそよぎ、水面のはじく陽のひかり、汗ばんだ肌をなぜる風。

目を閉じれば、江戸の夏の入り口に立っている。


木内彰志(きうちしょうし)1935-2006年。千葉県生まれの俳人。秋元不死男に師事。「海原」創刊・主宰。



春惜しむ(はるおしむ)

晩春・時候/すぎゆく春を惜しむこと。自然も生活も明るく活気ある季節に感じるさみしさがある。


パンにバタたつぷりつけて春惜しむ  久保田万太郎


退院してひさしぶりに帰ってきたわが家。

桜はとうに散り、庭の草花も花のさかりをすぎて、葉の勢いが増している。

今朝は陽ざしが強く、あたたかいというより、すこし暑いくらいだ。

今年はせっかくの春を十分に愛でることができなかった。

薬品臭い病院で煩悶の日々を送るうち、季節はわたしを置いてすっかり先に進んでしまったのだ。

ほどよく焦げ目のついたトーストの香り。それだけのことが気分を明るくしてくれる。

きょうは体調がいいようだ。バターをいつもより多めにつけよう。惜しむことなく、たっぷりと。

自分が食べるものを自分で好きなようにおいしくできる幸せ。それはバターがしっとりとしみてゆくパンの上にだってある。

ああ、わが庭よ。急がず、ゆっくりと、もうすこしこのままで。わたしを置き去りにしてくれるな。


久保田万太郎(くぼたまんたろう)1889-1963年。東京生まれの小説家・劇作家・俳人。松根東洋城に師事。「春燈」を創刊・主宰。