釣堀(つりぼり)

三夏・人事/天然の池や河川の一区画、もしくは人工の池などに鯉や鮒を放し、料金をとって釣らせるところ。


釣堀の四隅の水の疲れたる  波多野爽波


小学生のころ一時期、父や兄と近所の釣堀によく行った。屋内に銭湯の浴槽みたいなのがいくつかあって、おじさんたちが黙って釣り糸を垂らしていた。

照明は暗く、水は濁っていて鯉の姿はよく見えないし、満腹なのか警戒しているのか、なかなか餌に食いつかない。たまにでかいのがかかると、派手に水音をたてて暴れたりして、うれしいくせに恥ずかしかった。

きれいな色のが釣れたら持ち帰って飼うつもりもあって、けっこう気合いは入っていたと思う。

あそこにいたおじさんたちは日曜の午後、家にいても退屈だし、暇つぶしに浮きをながめにきていただけかもしれない。

釣れるかどうかより、あしたがまた月曜日であること、ここの鯉はいつまでこんなところに閉じ込められているのかということ、そんな疲れた思いをよどんだ隅っこの水面にぼうっと映していた人がいなかったとは言い切れまい。


波多野爽波(はたのそうは)1923-1991年。東京生まれの俳人。高浜虚子に師事。「青」を創刊・主宰。



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