冬の蠅(ふゆのはえ)

三冬・動物/冬になっても生き残っている蠅。動作が鈍くなってもまだ生きている姿にあわれを感じる。


バチカンの大聖堂に冬の蠅  久保倉三


冬の蠅といえば梶井基次郎の小説を思い出す。あれは温泉地の宿が舞台だったが、この句はなんとバチカンである。

私がサン・ピエトロ大聖堂を訪れたのは観光客でごった返す真夏であった。それでも大聖堂だけに、そこにはにぎわいのなかの静謐という特有の雰囲気が色濃くただよっていた。目を閉じて、いつまでもずっとひたっていたい心地よさがあった。

この冬の蠅はあの広い聖堂のいったいどこで生き延びているのだろう。

ピエタ像のイエスの胸の上か、あるいはクーポラの窓からさしこむ光のなかか。

キリスト教の建築物としては世界最大の大聖堂。そこに、つくりものめいたちっぽけな冬の蠅。蠅だって神の創造物のひとつであるならば、つくりものであるにはちがいないのであるが。

ほんのわずか脚を動かし、まだ息絶えてはいない。

蠅も人も、いつか必ずたどりつく死の時までを生かされている。



花八手(はなやつで)

初冬・植物/八つ手は暖地の海岸近くに自生するウコギ科の常緑低木。庭木としても植えられる。初冬、花茎の先に白い小さな花が球状に集まってたくさん咲く。ほのかな香りと甘い蜜があり、蠅などが花粉を媒介する。切れ込みのある濃緑色の大きな葉は冬でも生命力を感じさせる。


写真師のたつきひそかに花八つ手  飯田蛇笏


昔は商店街に一軒はあった写真店。

七五三でも入学式でも、父親がみずからカメラを手に記念撮影してくれたので、写真店はあくまで現像を頼むところであった。

自分が結婚してから子供と妻と三人で、それぞれスーツを着て近所の写真店で記念撮影をしたことがある。店主は職人っぽいというのか、ことば少なく愛想のないおじさんだったと記憶しているけれど、出来上がった写真は申し分なかった。

通勤時に通りすぎるだけだった店に実際に入り店主の顔も見たせいで、なぜか時が止まったようにしんとした小さなこの店には、毎日どのくらいの客がくるのだろう、売上げはどのくらいなのだろうなんて、失礼なことにも思いが及んでしまった。

毎月ほぼ固定した月給をもらっている身には、その暮らしぶりはちょっと謎めいているように思われた。

そんな写真店のせまい庭に八つ手の花がひっそりと咲いている。だれに愛でられることもなく、もしかしたら店主でさえその地味な花には関心がないかもしれぬ。

けれどちょっとやそっとでは枯れそうにない力強い大きな葉を繁らせて、今年もたくさんの花をつけた八つ手は、この地で日々写真師として堅実に生きる店主の姿とどこか重なって見えてくるかのようだ。


飯田蛇笏(いいだだこつ)1885-1962年。山梨県生まれの俳人。高浜虚子に師事。「雲母」主宰。郷里の山間の地で格調高い重厚な句を詠んだ。



木の葉髪(このはがみ)

初冬・人事/晩秋から初冬にかけて頭髪がよく抜けることを、木の葉が落ちるのにたとえていう。冬に向かってわびしさをおぼえる。


鞄のもの毎日同じ木の葉髪  富安風生


毎日同じ時刻に家を出て、同じ鞄をぶら下げ、同じ道をたどって同じ駅に着き、同じ電車に乗って同じ駅で降り、同じ会社の同じ机に向かってきのうと同じような仕事をこなし、同じ同僚と行きつけの店で昼飯を食い、終業時刻がきたらいつもと同じように家路につく。

毎日同じなのは鞄の中身だけではなくて、その人の生活そのものなのではないだろうか。そのひとつの象徴として、鞄が読み手に提示されているかのようだ。

木の葉髪は、その代わり映えのしない日常のくりかえしが永きにわたってつづいてきたことを想像させる。

たとえば会社をもうじき勤め上げる定年間近のサラリーマンの背中が見えてくる。いつもの鞄とともに、ゆっくりと遠ざかってゆく頭髪のうすい後ろ姿が。


富安風生(とみやすふうせい)1885-1979年。愛知県生まれの俳人。高浜虚子に師事。「若葉」を創刊・主宰。



初時雨(はつしぐれ)

初冬・天文/その年の冬初めにふる時雨。晴れていたかと思うと一時的にふったりやんだりする天気雨・通り雨のこと。いよいよ冬に入ったという思いがこもる。


初時雨煮鍋の音の静かなり  木下ひでを 


ふいに台所の窓がぱらぱらと音をたてた。雨つぶと雨つぶとがくっついて、ガラスをつーッと伝い落ちていく。

天気予報によれば今夜は冷えこむようだ。これからは鍋料理をあれこれ考えるのも楽しい季節。

煮ものをしているとあたたかくて心地がいい。つい眠たくなってしまう。

家族が帰ってくるまでのしずかなひととき。

ガスの青い炎をぼんやりながめていたら、窓の外が急に明るくなって、雨雲のむこうに冴え冴えとした青い空が光っているのが見えた。

鍋のふたを開けると、わっと白い湯気が立ち上がる。そろそろ火を止めてもいいかな。おいしそうな匂いを閉じこめるようにして、わたしは素早くふたを閉じた。


木下ひでを(きのしたひでお)1939年、中国新京生まれ。元「俳句朝日」編集顧問。



隙間風(すきまかぜ)

三冬・天文/障子や戸、壁などのわずかな隙間から吹きこむ冷たい風のこと。目貼りをして防いだりする。


隙間風終生借家びととして  石塚友二


なんともわびしい一句だが、こういう妙に生活臭のつよい実感のこもった句はけっこう好きだ。

うまいことやって出世して隙間風のすの字も吹きこまぬような立派な家に住む幸福もあれば、つましい暮らしからなんとか毎月家賃を捻出して大家に納め、今年もぴゅーぴゅー隙間風にやられる季節になったなあと思いながら、金にもならない俳句なんぞをちまちまひねっている幸福もある。私はあえてそれを幸福と呼びたい。

「終生借家びととして」の措辞は、決して悲観やあきらめではなく、俺の人生はこれでいいのだ、これがいいのだという自身への肯定的な意志表明に感じられるからだ。

冒頭でわびしい一句といったけれど、なんのなんの、隙間風で一句できたぞとほくそ笑むたくましさ、生活は苦しくとも人生を楽しむ余裕を味わっている作者に拍手を送る私がいる。


石塚友二(いしづかともじ)1906-1986年。新潟県生まれの俳人・小説家・編集者。石田波郷の後を継ぎ「鶴」主宰。




冬に入る(ふゆにいる)

初冬・時候/二十四節気の一つ。11月8日頃。まださほど寒くはないが、冬の季節風が吹きはじめ、日暮れも早くなり、冬を迎える緊張感をおぼえる。


昆虫館音なく冬に入らんとす  橋本鶏二


子供のころはさんざん捕まえたり、観察したりしていたにもかかわらず、大人になるとなんとなく虫を遠ざけたい気になるのはなぜだろう。

もっともNHKの「昆虫すごいぜ!」のカマキリ先生こと香川照之氏のように、昆虫をみつけては異常なほどに大興奮してしまう素敵なオジサンももちろんいらっしゃる。解剖学者の養老孟司氏の昆虫標本なぞは単なる昆虫好きの域をとうに超えていると思ってしまう。

昆虫とひと口にいっても、その冬越しの姿は成虫、蛹、卵などさまざまだろうが、たくさんの昆虫たちが春がやってくるまでの間、それぞれの姿で自分の居心地のいい場所で寒さをしのごうとしているのだ。それはなぜかしら、人間が冷える夜にあたたかい布団にくるまって眠りにつくときの至福の時を思わせる。

まるで何もかもが死に絶えてしまったかのような静寂につつまれた昆虫館は、いままさに「冬に入らんと」している。それは次の季節に、また新たな生命をつないでゆくまでのつかのまの休息にすぎないのだろうけれど。


橋本鶏二(はしもとけいじ)1907-1990年。三重県生まれの俳人。高浜虚子に師事。「年輪」を創刊・主宰。



紅葉狩(もみじがり)

晩秋・人事/山野に出かけ、紅葉を愛でること。


こどもの手いつもあたたか紅葉狩  岡田日郎


やさしくて平和な光景に心底ほっとする一句。

子供の手は本当に不思議なくらい、いつもあたたかくて心地いい。

手をつないで歌でもうたいながら紅葉の下をゆく父子。

そういえば、真っ赤なもみじの葉を拾った棒っきれでかき集めながらはしゃぐ息子のスナップ写真があったのを、ふっと思い出した。

幸福な過去はほんのいっときであっても、心をあたためてくれる。


岡田日郎(おかだにちお)1932年、東京生まれの俳人。福田蓼汀に師事。「山火」主宰。多くの山岳俳句を詠む。



冬近し(ふゆちかし)

晩秋・時候/すぐそこまで冬がきている気配をさす。冬のきびしい寒さ、暗さが迫り、どこか緊張感が感じられる。


冬近し厚きプラトン書の余白  有馬朗人


思いきって、読書の秋から読みはじめたプラトン。朝晩は冷えるようになり、季節は冬へと移ろうころというのに、まだ読み終わらない。

自分なりに思索の一端を残そうと余白にせっせと書き込みをしてきた。窓の外を白いものが舞いはじめる前に、どうにかこの先のページの余白も埋めてしまえないか。

なにか急かされるような思いでめくる1ページが、またやけに重い。


有馬朗人(ありまあきと)1930-2020年。大阪府生まれの物理学者・政治家・教育者・俳人。山口青邨に師事。「天為」を創刊・主宰。多くの海外詠がある。