高きに登る(たかきにのぼる)

仲秋・人事/中国の古俗。9月9日に、茱萸ぐみを入れた袋をもって高いところに登り、邪気をはらい長寿を願う。


亡びたる城の高きに登りけり  有馬朗人


地元に戦国期の山城がある。強大な大名が支配する国境に位置し、戦略的に重要な城だったようだ。いまでも曲輪や土塁、竪堀、堀切などの遺構が確認できる。

山頂からは広大な関東平野が望め、その反対側に連なる濃淡ある山々の景色がうつくしい。

この城は秀吉の小田原攻めのとき徳川勢に包囲され、すぐに降伏・開城したらしいが、城兵たちはどんな思いで山を下りたのだろう。城は歳月とともに朽ち果てても、うるわしい山なみは彼らが目にしていたのと変わらないはずである。

この句でも、作者はかつて兵どもが戦った城であった山に登っている。だが、中国のしきたりに従って高きに登っているのなら、長寿を願ってのことであり、「亡びたる城」は決してふさわしい場所とはいえないだろう。そこにおもしろさがある。

人間なんてどうあがいたって100年生きられるかどうか、亡びぬ者はいないのさ。それでも高きに登ってみたりするのがまた人間らしくもあるかと、そこにあるのは嘲りよりはむしろ達観の末にある愛おしむ心か。


有馬朗人(ありまあきと)1930-2020年。大阪府生まれの物理学者・政治家・教育者・俳人。山口青邨に師事。「天為」を創刊・主宰。多くの海外詠がある。



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