秋刀魚(さんま)

晩秋・動物/体長30センチほど、背は濃い藍青色、腹は銀白色。名のとおり体は刀に似て細長く、両顎はくちばし状。夏の間は北海道方面に群れているが、秋になって水温が下がると南下し、三陸沖から関東で多く漁獲される。脂肪が多く塩焼きにするとうまい。


秋刀魚黒焦げ工場の飯大盛りに  山崎ひさを


秋刀魚は近年、不漁が目立ち、価格も上昇、安くておいしい庶民の魚とはいえなくなってきている。資源量の減少に加え、日本近海の海水温が上がり回遊量が減っているのが原因という。

温暖化が進めば、将来は秋ではなく冬の味覚の代表として、季語にも影響を与える日がくるかもしれない。

この句の秋刀魚はいかにも庶民の味方としての安くてうまい魚。昭和の高度経済成長期、物はつくればつくるだけどんどん売れ、工場はフル稼働で残業に休日出勤。町工場の社長が工員たちを労おうと、どっさり買ってきた秋刀魚を七輪でじゃんじゃん焼いて、飯も好きなだけ食わせている、そんな景気のいい豪快な風景が見えてくる。

焦げた秋刀魚みたいに汚れた作業着を着て汚れた手をした働き手たちが、さかんに箸を動かし、熱い秋刀魚を、熱い飯を大きな口に放り込んでいる。

あすの暮らしになんの不安もなく、きょうよりもあすが、あすよりもあさってが、世の中も生活ももっともっとよくなっていくことを疑わずにいた幸福なひとときだ。


山崎ひさを(やまざきひさお)1927年、東京生まれの俳人。岸風三樓に師事。「青山」を創刊・主宰。



秋の暮(あきのくれ)

三秋・時候/秋の一日の夕方と、秋という季節の終わりの二つの意味がある。虚子は前者の意味と定めたが(『新歳時記』)、二つの意味合いを効果的に使った句もみられる。「さびしさ」「もののあわれ」を感じさせる。


マンホールの底より声す秋の暮  加藤楸邨


たとえば、マンホールの蓋があいていて、下水道工事の作業人の声が実際に聞こえるということはあるのかもしれない。

けれど、秋の暮れかかった路地裏を歩いていたら、どこかから声がして呼びとめられたような気がしたのだが、あたりに人影はなく、なぜか足もとのマンホールの底にだれかいるんじゃないかと訝る人の姿が浮かぶ。

ふだんはとらえることのない声、それも見えない暗い地底からのかすかな波動をキャッチしてしまったのは、うつむきかげんにとぼとぼと歩く人の人恋しさゆえだろうか。


加藤楸邨(かとうしゅうそん)1905-1993年。東京生まれの俳人。水原秋櫻子に師事。「寒雷」を創刊・主宰。


 

水澄む(みずすむ)

三秋・地理/秋になって、河川や湖、池、沼などの水が澄むこと。


水澄みて金閣の金さしにけり  阿波野青畝


小学生のときプラモデルの金閣寺をつくった。色を塗らなくても金色にぴかぴかと見事に光っていて、かっこよかった。われながら単純な子供だな。

中学の修学旅行で本物を見たとき、でっかいプラモデルみたいだなと思った。木々の緑を背景にして、派手な金色が妙にうそくさかった。

うまく表現できないのだが、本物が偽物に見えてしまうくらい、実は感動していたのだと思う。存在感が強烈すぎて、現実のものとして受けとめきれなかったのかもしれない。

そのとき金閣寺がどんなふうに池に映っていたのかまったく記憶にないのだが、もしもそこに池がなかったとしたらどうだろう。

この句は鏡湖池あっての金閣寺の魅力を如実に伝えている。


阿波野青畝(あわのせいほ) 1899-1992年。奈良県生まれの俳人。高浜虚子に師事。水原秋櫻子、山口誓子、高野素十らと「ホトトギス」の黄金時代を担った。「かつらぎ」を創刊・主宰。


檸檬(れもん)

晩秋・植物/ミカン科の常緑低木でインド原産。日本には明治初期に渡来し、瀬戸内地方で栽培されている。5~11月頃に数回花をつけるが、果実は5月に咲いたものが12月頃に黄熟する。紡錘形で芳香が高く、酸味が強い。ビタミンCに富み、ジュースや料理などに用いる。


髪なほす鏡の隅に檸檬の黄  安西可絵


ドレッサーの前に腰かけ、みだれた髪を手でなでつけている。その動きがぴたりと止まる。

鏡の隅に映った黄色い檸檬。テーブルの上にでもころがっているのか。

ひとり残された部屋はどこか虚ろでよそよそしく、自分の存在すらも現実感に乏しい。

そのなかで唯一、いつもはそこにない檸檬の香り、あざやかな黄だけが、たったいままで時間も空間も肉体も精神も、すべてを共有した(はずの)人が間違いなくここにいたのだと、心につよく訴えかけてくる。

檸檬は幸福としてそこにあるのか、あるいは残酷としてそこにあるのか。

彼女はこのあと、その黄色い果実を胸に抱くのか、投げ捨てるのか。それが気にかかる。


 

秋晴(あきばれ)

三秋・天文/秋の空が澄んで晴れわたっていること。


秋晴や囚徒たるる遠くの音  秋元不死男


秋になり空気が乾いてくると、遠くの音までよく聞こえるようになる。

それはわかるのだけれど、せっかくのさわやかな秋の好天には、もっと心が浮き立つような、明るい楽しげな音が聞きたい。たとえば?と急に訊かれても困るのだけれど。

囚徒がどれだけ殴られようが、遠くにいる自分には無関係であるはずなのに、空はどこまでも青くうつくしくかがやいていて、それが無性に哀しい。


秋元不死男(あきもとふじお)1901-1977年。神奈川県生まれの俳人。島田青峰に師事。「氷海」を創刊・主宰。





鳥屋師(とやし)

晩秋・人事/つぐみ花鶏あとりなど、秋に渡来する小鳥の群れを捕らえるのを生業にする人。山林などに霞網を張りわたし、おとりの鳥を鳴かせ、鳥の群れが網目に首を突っ込んだところを捕獲する。霞網は現在は使用禁止。


袂より鶫とり出す鳥屋師かな  大橋櫻坡子


袂から鳩をとり出したら手品師になってしまうが、鶫である。そして、鳥屋師である。

よくわからないので調べてみた。

山を歩いていると「鳥獣保護区」の赤い看板を見かけることがある。そこでは狩猟が禁じられているが、そもそも鶫は捕獲が認められた狩猟鳥獣ではないので、保護区域外であっても捕ってはいけない鳥である。捕獲した場合、鳥獣保護法違反で罰せられる。

鶫はかつては貴重なたんぱく源として食用にされた。現在でも伝統的に鶫を食べる習慣があった地域では密猟があとを絶たないといわれている。

この句はむろん、猟が禁じられる前の鳥屋師を詠んだものだろうけれど、袂からとり出すという仕草が、なんとなくこっそりおまえにあげるよという感じ。

密猟の現場じゃなくて、鶫が大好物の彼女への告白の現場!? そんなわけないか、大橋櫻坡子さん! 


大橋櫻坡子(おおはしおうはし)1895-1971年。滋賀県生まれの俳人。高浜虚子に師事。「雨月」を創刊・主宰。



林檎(りんご)

晩秋・植物/バラ科の落葉高木。アジア西部からヨーロッパ東南部が原産。明治以降、本格的に導入され、青森や長野で栽培がさかん。国光、紅玉、ふじ、王林、スターキングデリシャスなど数多くの改良品種がある。生食するほか、ジュース、ジャムなどにする。


刃を入るる隙なく林檎紅潮す  野澤節子


食べものを詠むときはいかにおいしそうに表現できるか、ということをまずは考える。

もともと一日三食くだものでいいくらいくだもの好きなのだけれど、こんな林檎があったら切らずに、がぶりと齧りつきたい。

もう若くはないし、前歯がとれようが、歯ぐきから血が出ようが、とまではいわないが、「刃を入るる隙」がないのなら、齧りましょうよ、節子さん。

それにしても「紅潮す」の下五に、まことほれぼれしてしまう。


野澤節子(のざわせつこ)1920-1995年。神奈川県生まれの俳人。大野林火に師事。「蘭」を創刊・主宰。  



運動会(うんどうかい)

三秋・人事/最近は春に行う学校も多いが、澄んだ空の下、さわやかな風に吹かれながら競技を観戦するのは秋ならではの気持ちよさがある。昼に家族とともに弁当を食べるのも楽しみのひとつ。


運動会午後へ白線引き直す  西村和子


ある俳句番組で西村さんがご自分のこの句についてふれていらっしゃった。

自転車の前と後ろに子供を乗せて、子育てってもう毎日たーいへん!とか叫びながら疾走しているものの(あくまでイメージです)、ほんとは子供が大好きで、けっこう楽しんじゃってるいいお母さんだったんだろうなと思った。

この句は運動会の光景として、だれもが目にしたことがあるものだろう。

「午後へ」の「へ」によって、午前の部が終わり、親たちが子供らとひろげたレジャーシートの上で弁当を食べている様子が見えてきて、午後の競技でのわが子の活躍に期待する親心まで感じとれる。

ごくありふれた素材ながら、たった一字の的確な選択が一句を大きくゆたかにふくらませて秀逸。

奇を衒ったようなことばや表現をもちださずとも、乾いた砂にきれいな水がすうっとしみこむように読み手の心に自然にひろがるこういう句がつくれたらなあとつくづく思う。


西村和子(にしむらかずこ)1948年、神奈川県生まれの俳人。清崎敏郎に師事。行方克巳と「知音」を創刊・代表。



秋風(あきかぜ)

三秋・天文/初秋から晩秋までの秋に吹く風。初秋は残暑のなかで吹き、しだいにさわやかになって、晩秋には冷気をともなう。


秋風や麵麭パンの袋の巴里の地図  安住敦


正直、パリにはなんの思い入れもなくて、欧州大陸を放浪していたころ、真夏なのにセーヌ川の船の上で冷たい雨にふるえていたことくらいしか記憶にない。

パリジェンヌがバゲットを小脇にかかえて歩く姿を見たかどうか思い出せるわけもないが、想像するといかにもパリっぽくておしゃれではある。逆に、フランス人がおにぎりを齧りながら歩く日本人を想像しておしゃれと思うか否かは知らないけれど。

敦さんの一句は、実際にパリにいるんじゃなくて、パンの入った袋に描かれている地図を見て秋のパリを想っている。秋風にかおる焼きたてパンの香ばしい匂いは時空を超えて、思い出の、あるいは夢見るパリへと連れていってくれる。

現実に歩いている街が、たとえば銀座とか麻布なんかじゃなくて、両国とか柴又なんかだったらかえっておもしろいかもなあと思うのだが、敦さん、それじゃあだめですか。


安住敦(あずみあつし)1907-1988年。東京生まれの俳人。富安風生日野草城に師事。「春燈」主宰。