秋の暮(あきのくれ)

三秋・時候/秋の一日の夕方と、秋という季節の終わりの二つの意味がある。虚子は前者の意味と定めたが(『新歳時記』)、二つの意味合いを効果的に使った句もみられる。「さびしさ」「もののあわれ」を感じさせる。


マンホールの底より声す秋の暮  加藤楸邨


たとえば、マンホールの蓋があいていて、下水道工事の作業人の声が実際に聞こえるということはあるのかもしれない。

けれど、秋の暮れかかった路地裏を歩いていたら、どこかから声がして呼びとめられたような気がしたのだが、あたりに人影はなく、なぜか足もとのマンホールの底にだれかいるんじゃないかと訝る人の姿が浮かぶ。

ふだんはとらえることのない声、それも見えない暗い地底からのかすかな波動をキャッチしてしまったのは、うつむきかげんにとぼとぼと歩く人の人恋しさゆえだろうか。


加藤楸邨(かとうしゅうそん)1905-1993年。東京生まれの俳人。水原秋櫻子に師事。「寒雷」を創刊・主宰。


 

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