寒雀(かんすずめ)

晩冬・動物/餌の少ない冬、雀は人家の周りに集まってくるので親しみがわく。


しみじみと牛肉は在り寒すずめ  永田耕衣


歳時記をぱらぱらとめくっていると、時にこんな一句に出会う。それがまた楽しい。

「しみじみ」「牛肉」「寒すずめ」。たった十七音に、この三つのことばが並ぶ不思議。

何度も声に出して読んでみると、「は在り」が力強く立ち上がってくる。

牛肉の存在、その様がしみじみとしている──心静かに落ち着いている──とはどういうことなのか。

自分の目の前に、いまや食べられるだけの存在となった牛肉がある。「観念」の一語が浮かぶ。一方で、寒さのなか餌を求めて跳び歩く雀がいる。焼き鳥にされることなく、いきいきとした姿で。

そんな牛肉と寒雀の対比と読むこともできるかもしれない。

十人いれば十人の読みがあるのが俳句だ。この句ができた背景を知っていれば、まったく別の解釈が成り立つと思う。

けれど、これはこういう句だと決めつけられるほどつまらないことはない。人は自由になりたくて俳句を、詩を読むのではないのか。

禅に興味のあったらしい耕衣さん。俳句に意味なんてないよ。そんな声が聞こえてきそうな気もする。


永田耕衣(ながたこうい)1900-1997年。兵庫県生まれの俳人。「琴座(リラザ)」を創刊・主宰。書画も手がけた。

冬薔薇(ふゆばら)

三冬・植物/冬になっても咲いている薔薇のこと。枯れたような枝に小ぶりの花をひらく。

 

冬薔薇の花弁の渇き神学校  上田五千石

 

葉の落ちた枝にぽつんと取り残されたように咲く冬の薔薇。

冷たい風にさらされ、くすんだピンクの花弁に水気はなく、硬そうだ。触れたら、ぱりぱりと音をたててくずれてしまいそう。

薔薇には初夏という華やかな舞台があるのに、こんな季節になぜそんなに意地を張って咲きつづけるのか。

神学校にこもって、必死に主の声に耳傾けているこの俺が、まさか目の前のこの一輪だなんて、そんなこと、あろうはずがない……。

 

上田五千石(うえだごせんごく)1933-1997年。東京生まれの俳人。秋元不死男に師事。「畦」を創刊・主宰。

寒稽古(かんげいこ)

 晩冬・人事/武道・芸道で、寒中三十日間の早朝や夜間、特別に猛烈な稽古を行うこと。

 

面取れば妙齢なりし寒稽古  永田百々枝

 

緊張と寒気とでぴりッと空気の張りつめた道場。力強いかけ声と竹刀の音が響きわたる。

そのなかに、ひときわ気合の入ったすげえ奴がいる。

いったいどんな面構えかと思いきや、面を外してあらわれたのは愛らしい、自分の娘のようなうら若き乙女だった。

「妙齢なりし」とあっさりいったことで、驚きにだらしなく口をあけた様がくっきり。



冬鴎(ふゆかもめ)

 三冬・動物/海猫、百合鴎など種類は多く、日本中で見られる。秋に渡来する冬鳥。

 

冬かもめ少年ふいにジャンプする  佐野典子

 

寒いけれど青空のかがやく島の港。少年が一人、フェリーが着くのを待っている。

島を出る用事はなんだろう。

観光客が餌をやるので鴎がたくさん集まってきた。所在なげに突っ立っていた少年が、ふいに大きくジャンプした。腕を思いきり天に伸ばして。

鴎をとらえようとしたのか、いや追い払おうとしたのか。あるいは鴎など見ていなかったのか。

少年は何事もなかったように、また海を見ているだけだ。

大寒(だいかん)

晩冬・時候/二十四節気の一つ。1月21日頃。大寒から立春までが一年のうち最も寒さがきびしい。

 

大寒や転びて諸手つく悲しさ  西東三鬼

 

まず笑ってしまった。あまりの率直さに。「両手」ではなくて、「諸手」という響きに。

転んで諸手をつくなんて、転び方としてはうまいほうだ。

だが、大寒である。アスファルトの冷たさが、痛みとともに両の手にじんじん伝わってくる。

鼻先には地面、耳元には行き交う人々の靴音。

早く立ち上がらねば。なのに腕がすぐには伸ばせない。もう若くはないのだ。

みっともない姿を他人にさらしている時間が、耐えがたく長い。

 

西東三鬼(さいとうさんき)1900-1962年。岡山県生まれの俳人・歯科医師。「断崖」を創刊・主宰。新興俳句の旗手として活躍した。

一月(いちがつ)

 晩冬・時候/一年の最初の月。寒さが最もきびしくなる。

 

赤き実を咥へ一月の鳥日和  阿部みどり女

 

南天の実と鵯。ピーヨピーヨと、鋭い声が耳に痛い。

冬の弱々しい西日のさす庭を、窓越しにそっとのぞいていた幼きころを思い出す。

母は買い物で留守番だったか。

美しい赤い実に欲しいだけ食いつく野生の生命に、ささやかな興奮をおぼえて。

 

阿部みどり女あべみどりじょ)1886-1980年。北海道生まれの俳人。高浜虚子に師事。「駒草」を創刊・主宰。