寒雀(かんすずめ)

晩冬・動物/餌の少ない冬、雀は人家の周りに集まってくるので親しみがわく。


しみじみと牛肉は在り寒すずめ  永田耕衣


歳時記をぱらぱらとめくっていると、時にこんな一句に出会う。それがまた楽しい。

「しみじみ」「牛肉」「寒すずめ」。たった十七音に、この三つのことばが並ぶ不思議。

何度も声に出して読んでみると、「は在り」が力強く立ち上がってくる。

牛肉の存在、その様がしみじみとしている──心静かに落ち着いている──とはどういうことなのか。

自分の目の前に、いまや食べられるだけの存在となった牛肉がある。「観念」の一語が浮かぶ。一方で、寒さのなか餌を求めて跳び歩く雀がいる。焼き鳥にされることなく、いきいきとした姿で。

そんな牛肉と寒雀の対比と読むこともできるかもしれない。

十人いれば十人の読みがあるのが俳句だ。この句ができた背景を知っていれば、まったく別の解釈が成り立つと思う。

けれど、これはこういう句だと決めつけられるほどつまらないことはない。人は自由になりたくて俳句を、詩を読むのではないのか。

禅に興味のあったらしい耕衣さん。俳句に意味なんてないよ。そんな声が聞こえてきそうな気もする。


永田耕衣(ながたこうい)1900-1997年。兵庫県生まれの俳人。「琴座(リラザ)」を創刊・主宰。書画も手がけた。

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