新涼(しんりょう)

初秋・時候/暑い夏に感じられる涼しさではなく、秋に入ってからの待ちこがれていた涼気をいう。


新涼や尾にも塩ふる焼肴  鈴木真砂女


真砂女さんにお会いしたことがある。

背筋がぴしッと伸びていてスニーカーをはいていた真砂女さんは、老紳士に言い寄られて困惑していた。

そんなへんてこな夢をみたのには思い当たる理由があるのだけれど、眠る前にインプットされたいろんな情報が断片的につなぎあわされて勝手に出来上がる夢って、やっぱり不思議だ。

『お稲荷さんの路地』という随筆を読んだことがある。「卯波」でいきいきと働く80代の真砂女さんが、俳人らとの交流、思い出や日常のできごとなどを明るい筆致でつづったものだ。

こういっては失礼だが、そんな高齢女性の書き物を読んだ経験はなかったのだけれど、文体が老人くさくないし、好奇心旺盛で仕事にも意欲的で、とてもアクティブなことに驚いた。

銀座のレストランで一人でビールとステーキを堪能し、ぶらぶら歩いて入った映画館で新作映画に心を動かされたりする真砂女さん、なかなかかっこいいではないか。

食べることは生きること。生きることは食べること――。

暑い夏をなんとかやりすごして、やっとひと息つける涼しさにたどり着いたよろこびが、この一句にはある。

頭から尾まで魚をまるごとおいしくいただく。ひとつの命が別の命へとつながって、生かされていく。

肴と酒と集いくる仲間たちに囲まれた真砂女さんの幸福そうな笑みが見える。


鈴木真砂女(すずきまさじょ)1906-2003年。千葉県生まれの俳人。久保田万太郎安住敦に師事。東京・銀座で小料理屋「卯波」を経営、俳人や作家らが集った。



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