春惜しむ(はるおしむ)

晩春・時候/すぎゆく春を惜しむこと。自然も生活も明るく活気ある季節に感じるさみしさがある。


パンにバタたつぷりつけて春惜しむ  久保田万太郎


退院してひさしぶりに帰ってきたわが家。

桜はとうに散り、庭の草花も花のさかりをすぎて、葉の勢いが増している。

今朝は陽ざしが強く、あたたかいというより、すこし暑いくらいだ。

今年はせっかくの春を十分に愛でることができなかった。

薬品臭い病院で煩悶の日々を送るうち、季節はわたしを置いてすっかり先に進んでしまったのだ。

ほどよく焦げ目のついたトーストの香り。それだけのことが気分を明るくしてくれる。

きょうは体調がいいようだ。バターをいつもより多めにつけよう。惜しむことなく、たっぷりと。

自分が食べるものを自分で好きなようにおいしくできる幸せ。それはバターがしっとりとしみてゆくパンの上にだってある。

ああ、わが庭よ。急がず、ゆっくりと、もうすこしこのままで。わたしを置き去りにしてくれるな。


久保田万太郎(くぼたまんたろう)1889-1963年。東京生まれの小説家・劇作家・俳人。松根東洋城に師事。「春燈」を創刊・主宰。



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