春の夜(はるのよ)

三春・時候/体も心もやわらぐ暖かな夜。花の香がただよい、なんとなくつやめいている。


春の夜や皿洗はれて重ねられ  川崎展宏


皿洗いはきらいじゃない。

むかしロンドンの日本料理店で皿洗いをしていたとき、流しの洗いものは実際に目にすることのないお客さんが好きなように食べて飲んで帰っていった証として、そこにあった。

だれもここにいる自分を想像することもなくて、ただこの店で楽しい時をすごして夜のどこかへ消えてしまったと思うと、なぜか笑いがこみあげてくるのだった。

この句は初老の夫婦二人が台所にならんで、妻が皿を洗い、重ねられていく皿を夫がぬぐう、そんな共同作業を思わせる。

きょうは俺の誕生日だった。いつもよりすこしばかり豪華な夕飯だったから皿数が多い。せめて皿ふきくらい手伝わないと。

もう春ねと妻がいう。この間までお湯を使っていたけど、もう水でもつめたくないのだという。

そうか、もう春だな。あまり意味のない返事をしてしまう。

料理上手で倹約家の妻のおかげで、なんとか俺もやってこれたのかな。

あと何回、こうして誕生日を迎えられるのだろう。

春の夜を水の流れる音と皿を重ねる音がして、二人だけがいる。


川崎展宏(かわさきてんこう)1927-2009年。広島県生まれの俳人・国文学者。加藤楸邨に師事。「貂」を創刊・主宰。 




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